2011・3.11
東北地方に大地震が起こった。生まれて初めてあの大きな揺れを、ここ埼玉県でも感じた。
その後テレビによる報道で大きな津波が報道され・・・。
あの光景は今でも忘れることが出来ない。
私は、東北出身ではない。しかし、東北に何の縁がないわけでもなかった。
始まりは私の友人が就職で仙台勤務になり、よく遊びに行ったことから始まり、その後、宮城県のフライフィッシングクラブに入会。そこで色々な人と巡り合えたのが東北と黒岩のつながりの始まりである。
2011.3.11、確か午後4時ころであったろう。黒岩はラーメン屋で遅い昼食をとるところであった。
注文をしてちょっとすると、長い初期微動が。定員さんと『長いねぇ、ちょっとやばいかもよ』
と話しているところに本揺れが来た。『外に出た方がいいよ』そう声をかけ、定員さんも他のお客さんに声をかけ、火の始末をして外に出た。
ものすごい揺れだ。しかも長い。周りを見ても電柱がものすごい揺れている。駐車場に止まっている車も揺れている。外に出てきた女性のお客さんがめまいがしたようで座りこんだ。
揺れも収まり、中に入って食事・・・今考えるとその時、東北の方は大惨事になる直前だったのだろう。
その後も大きな余震が何度かあり、その日は塾を休校にした。
家でテレビを見ていると目を覆いたくなるような状況がずっと写し出されていた。
宮城の釣り仲間に連絡をとっても電話がつながらない。安否が心配だ。やっと次の日の早朝に電話が通じ、全員無事であるということを確認できた。
何か自分にできること・・・ボランティアしかないな。
5月の連休を使い、教え子で黒岩塾のアルバイト講師をしていた野杁先生と2人でボランティアに行った。2ヶ月もたっているのに何とも言えない状況。あたりは悪臭。そしてヘドロが家屋に浸入して・・・。私たちはヘドロ出し、塾で集めた支援物資の搬入を行った。
おかげさまで塾で集まった支援物資は1回の搬入では収まりきれず、8月にも行ってきた。
あれから2年、黒岩塾や私の知り合いなどにお願いして、募金を集めました。その集まったお金で宮城県の子供たちの遊具(ボール、バドミントンセットなど)をたくさん買い、2013年5月にボランティアに行ってきました。町はだいぶきれいになったとはいえ、ちょっと外れるとあの時のままの手付かず状態。この時は写真洗浄のボランティアにも行ってきました。海水につかった写真、ネガをきれいに洗い、見えるものに関しては家族にお返しするボランティア。思い出の品を家族のもとにという思いで、みんな真剣に、ていねいに写真洗浄をしていました。
これからも忘れてはならないあの震災。心のどこかで『まだ終わってない』そう思っていてほしいです。